スカーフ王子こと上田幸太郎さん
大学卒業後に大手アパレル企業に就き、販売員として年間2000人以上を接客
その後、ベンチャー企業にて海外企業との貿易実務を通して
商品企画、流通、法人営業に従事。
現在、アパレル販売員だった経験を活かし、ビジネスとしてファッションスタイリストとして活動
これまで800人以上の個人向けカラーコンサル、骨格診断を行っている。
そんな上田さんですが、人生において「スカーフ」は特別な存在だと語る。
上田さんが
スカーフに魅了されたのは
小学生の頃。
昭和の仮面ライダーの赤いスカーフを見たのがきっかけだった。
上田少年は
仮面ライダーのマネをして
首に赤いハンカチを巻き、校庭を駆け回った。
それを見かねた母が
「ハンカチ巻くなら、ちゃんとしたスカーフを巻きなさい」
と母はクローゼットからスカーフを取り出し巻いてくれた。
それがスカーフ王子誕生の瞬間だった。
バブル世代の母は
スカーフをいくつも持っており、母のものをよく借りて遊びに行くようになった。
ところが
上田少年は小学校5年生の時に転校。
転校先では
スカーフを巻いていると
「なんだ、あいつ、首に変なもの巻いてる〜」
といびられたため
思春期なこともあり、急に恥ずかしくなった。
その後は
中学校、高校はいったん、スカーフを休止。
スカーフ熱が再燃した理由を尋ねると
中学校のある出来事に起因していた。
上田さんは
中学に入ると
スクスク成長して、中2で170㎝の身長で体重は最大90キロに。
ちょうど
その頃、すごく好きな子が出来て告白した。
しかし
当然の如く玉砕。
その女の子は
サッカー部の男の子が好きだった。
「なんであいつなんだ
絶対俺の方がかっこいいのに」
と思っていたと言う。
どうして振られたか全くわからなかった上田さんは友達に相談。
「したかないだろ〜自分の体系見てみろ!」
と言われた。
自分では
多少、体が大きいのかな?くらいにしか思っていなかったため
振られた理由が「自分の体格」と言うことに大きなショックを受けた。
まさに青天の霹靂。。
思い返すと
振られてからは
彼女の目線の先には
いつも同じクラスでライバルの彼がいた。
その頃、
ちょうど腰痛を併発。
病院に行ったら
太り過ぎと診断された。
ダブルパンチを食らった上田さんは
そこから火がつき
ダイエットを決行!
1年間で14キロを落として70キロまで体重を落とした。
中学卒業まで好きな子を引きずっていたが
高校生になると
ダイエットの成果もあり
急にモテてた。
それに気をよくした上田さんは
自分の見え方も気になり
自身をどう表現するかを考えファッションに興味が湧きだした。
そうしてスカーフ熱が再燃。
徐々に初恋からファッションに意識が向いていった。
それからは
学生時代はもちろんのこと
初めて就職したアパレル企業でも、毎日スカーフを巻いて出勤。
自分らしさを表現してきた。
しかし、日本では
「スカーフは女性が巻くもの」という固定観念が根強く
男性がスカーフを巻くことに
時には冷たい視線を感じることもあった。
それでもスカーフへの愛情は変わらず
自分のファッションスタイルの一部として取り入れ続けてきた。
その想いは今も変わらない。
ただ、日常的にスカーフを使う中で
自分が好きなスカーフは高価だったり
手頃な値段では好みの柄、デザインが見つからなかった。
中でも好きなスカーフはエルメスの柄物。
1着5万のスカーフを普段使いするのは難しい。
だったら自身で手頃な価格のスカーフを作ろうと思い立ち
韓国に仕事に行った際にスカーフ生地から製作開始。
オリジナルスカーフを作り
今ではスカーフのオンライン販売も行っている。
王子は
スカーフを通じて
ファッションの楽しさや自己表現の大切さを広めたい
さらに多くの方にスカーフの魅力を知ってもらいたい
その想いから
現在、スタイリストとしての立場を活かし
男性のスカーフ普及活動に尽力している。
(主な活動実績)
■㈱コナカ「イージーパーソナルカラータイ&チーフ」カラー監修
■コラムニスト
(リビング栃木新聞WEB版 ”トチギのファッショニスタ”を掲載中)
■全国に23店舗ある結婚式場のブライダルドレス選びの専属スタイリストとしても活動中